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2008年8月 7日 (木)

四谷怪談と嗤う伊右衛門

BS2深夜に昭和34年放映だったかの
東海道四谷怪談をやっていたので、
夜更かしになると分かっているのに
「こんな時間にやるなんて迷惑だ」
と文句をたれながら視聴。

この文だって起きてから書けばいいと思っているのに
遅くなってもいいからと書いてしまう・・・

ひと月弱前にDVDで京極夏彦版四谷怪談、
嗤う伊右衛門を見たので比較しての感想をば。

鶴屋南北の四谷怪談は誰か非常に悪い奴がいて、
その人のせいにすれば復讐という終わりが成り立つ。

京極夏彦の嗤うは社会や偏見、嫉妬と言った、
目に見えないもので登場人物が
それぞれ大なり小なり不幸になり、
武士道に殉じた仇討ちと自害という終わりしか成り立たない。

どっちが話として面白いと思うかは人それぞれだと思うけれど、
私は四谷怪談の
悪人は結局悪い奴だから死んでしまうという終わりが好き。

自然なお話という点では確かに嗤うの方が良い。

復讐という考えが嫌いだからこそ、
お話の中だけではそれでもいいやというのが理由。
きっと私が怨み辛みの話を考えよう、書こうと思っても、
悪い考えを持っていたから、
結局仕返しされたという結論には持っていけないだろう。
理想的だからこそ、そう貫けない。
本当にダメなんだ、悪が悪と言い難くそれで不幸になる話。
倫理・法に反する物、即ち悪であり、
悪は武士の魂が叩っ斬る、となると好きw
そこが、お約束時代劇好きの理由なんだろうけれども。
悪人のせいで結末が不幸なのは、
気持ちの持って行きようとしては楽な部類。

そういう意味では京極夏彦の話のもって行き方は納得できる。
伊右衛門関係者は誰が悪いわけでもないけれど、
それぞれが持つ歪みが重なってああなっちゃったという流れ。
その後で、悪い人間を妖怪のせいにして仕置きする
巷説百物語の作り方は非常に上手いと改めて思うね。

名前繋がりでしかないけれど、
ペットボトルのお茶「伊右衛門」は
買う気にならないんだな。

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